February 22, 2008
October 08, 2007
明治神宮
日曜日に久しぶりに明治神宮に行って来た。
明治神宮に来るのは3年振りくらいだろうか。
明治神宮と言えば、初詣の参拝人数が日本一と言われていますが、
さすがに混雑する初詣には行った事はないですね。
昨日は晴れてたので、運気を高めようとお参りに行った訳です。
一年も半分以上経っていますが、思い立ったら吉日と言うことで。
参道は三つありまして、代々木から入る北参道と原宿から入る南参道、
それから小田急線の参宮橋から入る西参道があります。
20代に、参宮橋にある設計事務所で働いていたので、たまに来てました。
それで、今日は代々木駅を出て北参道から入りました。
砂利の参道を進み、日本一の大鳥居をくぐって、直角に曲がると
本殿の鳥居が見えます。
このまっすぐ見せない手法は、一直線に見せないことで奥行きと、
曲がった時に、初めて本殿を見る驚きと到達感が得られる様に考えられたと思います。

午後三時頃、空は晴れてますが、大きな樹木で参道は薄暗いです。
たまに神社に行くのは、日本の伝統的なモノを再認識させてくれて、
心が改まる感じがしていいです。
その日は薪能が行なわれるため、境内で会場設営が進められて
いました。席は抽選の様なので今度、一度見て見たいですね。
帰りは南参道を通って原宿に出ました。
駅に渡る橋の上では、色んな人達がゴスロリやらフリーハグや自己表現など。
そこで、一番、目を引いてたオジイサンです。
マネキンの頭を乗せて、耳の付近には小さな金魚鉢を下げてました。

夏だから金魚鉢なんだよぅ。とジイは言っておられたが、もう秋なんですけど。
そんな明治神宮めぐりでした。
August 31, 2007
高山を見て街並を考える
一部ではあるけれど古い街並がまとまって残っていて、
今でも、内部を改装して店舗として使われています。
道端の自動販売機も木で囲ってあったりして風情を感じました。
保存地区の周辺に行くと、道側が店舗で奥の中庭を挟んで住宅が付いている
町屋建築で建てられた家が何件かあって、地域独自の住文化が再生されていて
「いいなぁ」と思ったのでした。
そんな家や街並を見ていると歴史を感じます。
京都は古い建築はお寺などに限られ、それらが点として存在している。
倉敷にしても、妻籠宿にしても古い街並は狭い範囲に限られています。
観光地と言うと大概、古い街並か美しい風景だと思います。
外国に行くとほとんど、そうですね。
中には例外として高層ビルなどがある東京や大阪などの大都市もありますが。。。
古い建築が多く残っている街は歴史を感じ、住んでいる人に愛着を感じさせ、
他から訪れる人達も魅了する。結果的に観光になっている訳です。

記憶と言った感情でないかと考えます。
例えば、25年くらいで町の全ての建築物が建て替えられたとしたら、
子供の頃からまるっきり変わって懐かしさを
感じないと思います。多分愛着も湧かないでしょう。
人間は昔から使っている道具などに歴史を感じて愛着が湧くのと同じで、
街にも言えることです。
高山みたいな古い建築が無い普通の町や市でも、
今後、長い時間を掛けて古い建物が出来ると愛着が湧くし、
街の記憶になっていくと思います。
例を上げると、横浜市にある明治時代から昭和初期に建てれらた建築物や
倉敷にあるアイビースクエアなど、
今から100年くらい前の建築物ですが、街のシンボルやランドスケープ、
または市民の憩いの場になっています。
建築的にも美しく、構造的に確実な建築が経済的理由などで50年以上取り壊されなければ、
確実に街の資産となっていくはずです。
今までの、安くて取りあえず先のことは深く考えず建てて、
古くなったら壊してまた建てる=いわゆる「スクラップandビルド」をやめない限り、
愛着のある街づくりはできないでしょう。
ゴミの発生や資源の無駄遣いからみても、
長く持つ建築や住宅の供給と古い建物を簡単に壊さないで
大事に使っていく姿勢がこれからは大事だと思います。
August 24, 2007
8月6日 飛騨高山・二日目・最終日
前々回からの続き
5月6日 高山観光二日目です。
翌朝、旅館をチェックアウトして
荷物を駅のコインロッカーに預けたあと
宮地家住宅と日下部民芸館に向かう。
昨日の白川郷ほどでは無いが高山も暑くなる予感。
街の中央に流れる宮川と言う川沿いに6時から
午前中まで市がたっていて
にぎやかな感じがします。
宮地家住宅
平日は閉館日で入れなかったので
外観のみです。
これはもともと民家であったのを
昭和41年に民芸館として開館したものです。
昨日見た吉島家と間取りがとても似ていて、
通りに面した所が2階建てになっています。
しかも、和室同士に段差がついていました。
階段は、一間(約1.8m)でを納めていて、
角度は急ですが、スペースを有効に使うには有効な
考え方だ。
そうすると階高が約2.4mくらい、半間おきに梁を流して
厚めの床板を張り、天井を張らずに直天井としている。
土間部分の吹き抜けの梁と束、柱の構成が美しい。
ここで高山の歴史を振り返ってみます。
高山は 戦国時代から城下町であったが、
1692年に徳川幕府の天領となりました。
お城は、当初、預かっていた金沢藩が
城の維持が困難との願い出により、
幕府より城棄却命令が出て、13年掛けて造った城も
たった約二ヶ月で取り壊しが完了した。
今では当時の石垣すら残ってない公園になっています。
もったいない話です。
陣屋が置かれて明治維新まで
代官・郡代が江戸から派遣され行政が行なわれました。
更に明治維新後には地方官庁として
昭和44年まで使用されていた事に驚きます。
その後、平成8年まで復元工事が行われ、
江戸時代の陣屋が、ほぼ見れる状態に公開されています。
その後、三町の保存地区をぶらぶら廻り、
るるぶに出ていた久田屋と言うお店に入ってみる。

飛騨牛ほう葉味噌定食を頼む1900円なり。

七輪で、ほう葉の葉っぱを敷き、
味噌の上に飛騨牛が乗っかっている。
昨日、旅館で食べた肉よりは量が多いのだが、
味噌の味が濃いと言うか塩分が強い。
旅館の方が甘くて自分好みでした。
観たい建築は観て、東京に帰るバスの時間まで
まだあったので、城跡の城山公園に登ってみる。
その城は、小高い山の上に築かれていました。
石垣くらいは残っている事を期待して登ってみる。
暑い中、登ること30分くらいで頂上にやっと着きました。
しかし、何も無い。一番上の平らの部分が50m四方程度か、
石垣も申し訳程度、復元したのが少しあるだけで、
ベンチが4つくらいあっただけでした。残念。
登って来たので、汗が引くまでベンチで横になる事にしました。
幸い、樹木が茂っていて日陰になってて涼しく
休憩して昼ねするにはちょうど良かったのですが。
山を降りて、また三町に行き、喫茶店に入りました。
町屋を改造したお店が沢山ありますが、一番近いお店に
入り冷たい飲物を頂きました。
その後、夕方4時半の高速バスに乗り東京に向かいました。
高山は面白かったなあ。まとまって昔の街並が残っているので
京都より良かったです。でも一日で十分な感じでした。
だいぶ、長文になってしまったので、感想はまた次回書きます。
August 21, 2007
8月5日 飛騨高山泊
前回の続きです。
白川郷から高山市に帰ったのが、夕方の4時。
西日が強い中、予約してある宿まで歩いて行く事7分くらい。
着いたところは情緒もない古いコンクリート造の旅館でした。
本当は木造の町屋造りの宿に泊まりたかったのですが、
予約する時点で、ここしか空いてなかったのです。
通された部屋は「間口一間半」の7.5畳の部屋。
マグチ一間半の旅館に初めて泊まりました。
もはや、ビジネス旅館とでも言えましょう。
しかし、昔、奈良で泊まった場末のビジネスホテルに
比べると格段に良いのは確かです。
まだ、夕方4時過ぎ。荷物を置いた後、街に出てみました。
宿の近い吉島家住宅を見る。
現在、国の重要文化財に指定されている住宅。
見所は土間の梁と束の交差している吹き抜け空間です。
通風と採光の為、中庭がある民家です。
そのあと、飛騨国分寺に行ってみる。
境内には寺が建立された時期に生えた
樹齢約1250年のイチョウの大樹がある。
この後、宿に帰って一風呂浴びたのだが、
ななななんと、ステンレスの水槽です。
(巾1.5m×奥行き2.5mくらい)
旅館でステンレスの浴槽は初めてです。
管理しやすいのはわかりますが情緒も何もないです。
旅館には「非日常」及び「非日常空間」が求められると考えます。
古い街並が残る高山であれば尚更大事だし、
そう言うのもホスピタリティー(もてなし)ではないかと思います。
続く
August 16, 2007
8月5日 白川郷
毎日暑い日が続いております。
残暑お見舞い申し上げます。
前回の旅行の続きですが、
次の日は、朝一番のバスで、高山市まで降りてから、
2時間掛けて白川郷に向かいました。
バスが乗り合いバスのため、
いちいち停留所のアナウンスをして行くのがうるさい。
世界遺産に指定されている為、ほとんど観光客で、
外国の方には座席が狭いのでとても辛いと思います。
ハイシーズンなら高速バスで使われる
トイレ付きハイデッカーでも動かして下さいと言いたい。
二時間近く掛かり、ようやく白川郷に到着。
狭い座席なので、寝てないと結構しんどいです。
白川郷のバスターミナルは駐車場になっていて、
観光ガイドセンターがあります。他の車やバスが到着してて、
観光地に着いた感じです。
いや~っ。とにかく、晴れてすごく暑いです。
盆地特有の夏の暑さ。ここで帽子や首に掛けるタオルを
持ってくれば良かったと後悔しました。
この橋を渡るといよいよ村の中心になります。
しかし、この様なコンクリート製の柱が無い橋を渡るのは初めてです。

人が歩くと揺れるんですね。
この橋は、継ぎ目が見あたらないから現場で型枠を組んで、
コンクリート打設後にPC鋼に力を加える
プレストレスコンクリートだろうと思いました。
帰って調べると吊床板橋でした。
橋を渡りきって村の中に入ると小さな鳥居があります。
その近くの数件はみやげ物屋や飲食店が固まっていました。
そこを抜けると、出ました合掌造りの家並みです。
日本の昔にタイムスリップした様な懐かしさがあります。
この村は、人が住んで生活しているため、
全部の家が昔のままとはいかない様で、
完全に近い形で保存されているのは、
国や県などの文化財に指定されている
家だけでした。
中にはトタン屋根に葺き替えている家もある。
ぜひ、ここは、世界遺産になったのだから、
観光で得たお金を使って茅葺の屋根を再現してもらいたい。
村の端にある小高い山から村を眺めてみました。
高い空間を利用して、2階で蚕を飼ってた。
風が通って涼しくて、窓際でしばらく休んでおりました。

一階の囲炉裏で火をおこすと、その煙が上に上がり
柱や梁をいぶしされて黒くなります。

合掌造りの形は、正三角形になっていて構造的には一番強い。
普通の家の登り梁にあたる部材が柱になっています。
急勾配な為、部材同士を縄で繋いでいるところも興味深い。
縄が安くて簡単で合理的なんでしょう。

当時の商家などは和小屋組で屋根を組んでいます。
その場合、横に通した梁に束を建てて屋根を支えます。
これだと、梁や束が邪魔して、梁の上には部屋が造りにくいです。
合掌造りは水平梁が無い分、2階、3階と床を張り、作業空間や
収納空間を造る事ができました。
今でも応用できそうです。
今の日本で失ってしまった茅葺屋根の景観と
厳しい自然から生まれた形態及び構造の素晴しさに
着て良かったと実感しました。
雪が降る冬の景色も一度見てみたい。。。
そんな事を思いながら、高山に戻るバスに乗り込みました。
つづく。
August 14, 2007
8月4日 平湯温泉へ
前回の続きです。
(8月3日)
長岡の花火を観たあと、次の日に岐阜に行くため、
新幹線の臨時列車で東京まで帰らずに隣駅の浦佐まで行く。
10時頃に駅に着いたけど、駅前にタクシーが一台も待ってないので
しかたなく、予約してある旅館「てじまや」さんまで歩いていく事になり、
山際の暗い道を歩くこと10分で到着しました。
その日はすごく暑くて、汗でどろどろだったので
早速、温泉に浸かる。
肌のスベスベ感はないけど、温泉がとても気持ちいい~。
************************************
(8月4日)
次の日、両親と岐阜の平湯温泉に行くので、旅館まで車で迎えに来てくれました。
六日町から十日町に抜けてさらに西へ行き、上信越自動車道から長野自動車道を通って、
松本で高速を降りる。そこから国道158号を乗鞍岳方向に走りました。

この158号は山際まで松本電鉄が平行して走っていて、交通量も多い。
上高地や乗鞍岳などに行く人が多いのだろう。
曲がりくねった山道を二時間ほど掛けて行き、
午後三時頃、平湯温泉に着く。
浦佐から休み休みで、合計5時間程なので意外と近いでしょうか。
ここは、源泉掛け流しの温泉で、湯量が豊富です。
道の両端にある宿の前には温泉を木の桶みたいなのに出しているし、
側溝から捨てられた温泉が湯気を立てている。
温泉に来た雰囲気があります。
ここは、上高地や栂池などに行くバスターミナルがあり、
山から降りて来た人が温泉に浸かって行くらしい。
気温も平地より涼しく、避暑に来た感じがしていいですなぁ。
旅館は家族経営の小さい宿で、小さい風呂ながら露天もあり、
料理もまずまず、しかも料金が良心的でした。
August 11, 2007
長岡花火その三
暑い日が続いています。
事務所のエアコンが調子悪くて、
冷房をしても、しばらくすると送風になってしまいます。
こう暑いと仕事をする気が失せてきます。
さて、前回の続きですが、
最後の写真がフェニックスの一部でした。
フロレンティナのY女史からフェニックスの画像が載っているサイト
を紹介していただきました。↓
http://phoenix-hanabi.jp/web/index.php
とても、きれいです。
調べたら
フエニックスとは中越地震の復興を祈って打ち上げられる花火でした。
こちらのサイトには昨年のフェニックスなどの動画や花火の紹介があります。↓
http://nagaokamatsuri.com/nagaoka-hanabi.html
August 10, 2007
長岡花火 その二
前々回のつづきです。
リリックホールの後、照明や空間のアドバイスをした
F様邸に行きました。
行って見ると工事はほぼ完成に近づいていました。
F様がわざわざ来られて、お礼にとお菓子を頂きました。
どうもありがとうございました。
空間にメリハリを付けるため、中央部のみ天井を高くしています。

家全体はY女史のデザインですが、
居間の天井が高くて気持ちが良さそうな家でした。
その後、駅まで歩いてシャトルバスに乗り、会場の河川敷まで行きました。
河に近づくほど人が合流して、斜面の芝生にはすでに人で埋まっていました。
場所取りしたら、人が居なくてはいけないと言うルールなので
暑い中(多分交替で)大変だったと思います。
斜面の芝生は、花火の為に植えたのでしょう。
雨が降ると斜面が滑るので歩く部分には段を付けた方が良いですね。
IプロデューサーとY女史に用意して頂いたのは一番前の船を固定して板で床を造った場所でした。
花火を写真に撮るのは難しいです。
混雑を避ける為、花火が終わる30分以上前に
駅まで歩いて帰る途中の見返りです。

近くで見る花火は迫力あって感動しました。
三尺玉より、大型スターマインの連射の方が良かったです。
時間の関係上、フェニックスと言う花火が観れなくて残念でしたが、
またの機会の楽しみにしておきます。
Iプロデューサー、Y女史どうもお世話になりました。
August 08, 2007
長岡の花火 その一
先週、8月3日に長岡市大花火大会を観て来ました。
長岡市は、中越沖地震の震源地である柏崎市の隣になりますが、
今回の地震では、被害が少なく予定通りに花火大会が行なわれました。
これはフロレンティナ・ホームエデイターのIプロデューサーとY女史に
招待されたものです。
当日午後に長岡に着くと、夏晴れですが湿度の高い「モア~」とした暑さ。
後で、その日のニュースを見たら、気温はなんと38度!!
花火まで時間があるので、市内を案内していただく事になり、
まずは伊東豊雄氏設計のリリックホールへ向かいました。
リリックホールは音楽ホールで、
駅から橋を渡った西側(日本海側)にあります。
この辺には県立美術館や造形大学が集まっていて長岡市の文化地域と
言った所だろうか。
まず、駐車場から屋根付きの上空通路を経て横側から
エントランスに入ると、開放的なスペース(ホワイエ)が
目に飛び込んで来ました。
氏らしい軽快な印象です。
ホールの計画には、学生の頃、劇場音響ゼミの講師だった本杉氏が
参加しているとの事です。今では教授になられています。
柱が鉄骨だったので屋根も鉄骨だと思ってたんですが、
庇部分を見るとコンクリート造です。
鉄骨の柱を型枠を支える支保工として使った模様。
外に出てみると波打つ屋根にオーバル(楕円)と
スクエア(四角)な箱が飛び出ているデザイン。
楕円の方がコンサートホールで、四角い部分がシアターです。
また、波打つ屋根が廻りの山を連想させました。
オーバルの波ガラスの留め金あたりに錆が出てきて
汚れが少し目立ってきました。
つづく
July 14, 2007
勝鬨橋
東京建築士会はもともと銀座にあったのが、
何年か前に海際の勝どきに引っ越ししました。
行きは地下鉄大江戸線を利用しますが、
帰りは散歩がてら有楽町のJR駅まで歩きます。
そして、勝どきから築地に渡る時に隅田川に掛かる勝鬨橋を通ります。
この橋は両端が二連アーチでできていて
よく見ると信号が歩道と川側に付いています。
しかも詰め所らしき部分が四箇所あります。
以前から何気なく見ていて気づきませんでした。。。
家に帰って早速調べてみると、
完成は1940年で、日本の技術力を誇示するため、
日本人の技術者だけで造ったそうです。
中央部は大きな船を通す為に可動で中央部が上に跳ね上がる
様になっていました。
1970年には橋は閉じたままになり、その後動かすための電源も
停止されました。
もう一度、撥ね上げようとする市民の声があるものの、
費用が掛かりすぎるのと、交通量が増えた為、実現の目処がたっていません。
ここは水上バスが通るルートなので
一度、跳ね上がったところを船で通れれば面白いと思いました。
梅雨時の隅田川

June 30, 2007
花火
ここのところ梅雨らしくない天気が続いていましたが、
金曜日あたりから天気が悪くなってきました。
例年7月20日あたりに梅雨が開けると
夏という感じで開放感あります。
今年は梅雨か夏かわからない状態で、
だらだらと夏に近づいていくのでしょうか?
夏と言えば、スイカ、海、花火と来ますが、
花火と言えば、新潟の長岡が有名です。
長岡の花火は子供の頃に見たナイアガラの滝がとても
印象深く記憶に残っています。
しかし、成人してからは見たことが無くて
今では東京の花火すら見に行く事もメンドクサクなりました。
今年の夏はフロレンティナ・ホームエディターさんから、長岡花火に誘われています。
三尺玉を真近で見られそうなので、
今から楽しみに、ひと月頑張ろうと思っています。
June 29, 2007
April 19, 2007
November 18, 2006
街歩き
今日は天気が良かったので、阿佐ヶ谷を歩いてみました。
中央線沿線に住んでいるのだから、少しは中央線文化に
触れてみようと思ったからです。
駅から南北に走る通りが中杉通りです。

ケヤキの木が高いので昼間でも少し暗い感じがしました。
このケヤキは昭和29年に地元住民の陳情と募金によって
植えられたとの事です。
中杉通りを南に行くと青梅街道に当り、さらに住宅街の細いを
南に行くとあるのが阿佐ヶ谷住宅です。

これは昭和30年代に設計された公団分譲住宅(350戸)です。
低層テラスハウス群で集会場、公園や郵便局などがあり一つの街
の様です。
共有の公園があり、かなりゆったりした感じで
当時は日本の集合住宅の見本となったとも言われています。
今現在、空家が目立ち住んでいる人が少なく建て替えも
計画もある様です。
古い家をリフォームしても面白いと思うのですがねぇ。
阿佐ヶ谷のモールです。
ぶらぶら歩いて買い物が出来る所がモールの良いところです。
地方の都市も街の中心に駐車場があるモールやその地域の産業を
考慮した働く場所を造ると商店街などの空洞化が防ぐことが出来るかも
しれませんね。
駅北口で古い名曲喫茶を見つけれなかったので、隣の荻窪のラーメン屋で遅いお昼を食べました。
味の方は、批評するのはやめにしますが、評判ほどではないと思いました。残念。
帰って来て名曲喫茶を調べて見たら、歩いた所をもう少し先に行けば
あったので、またの機会に行ってみます。
古くて味のある店や街並や家は雰囲気があっていいです。
そんな建物が無くなってしまうのは街の記憶が無くなって
いく事です。
大事に住んでくれて古くなっても味が出る様な家を造りたいと
考えています。
November 09, 2006
神田界隈
今日は千代田区役所に書類を受け取りに行ったあと
九段下から神田まで歩いてみました。
今日の東京は天気が良くて日中暖かかったですねぇ。
小さい書店は演劇、音楽、自然科学、古書などの専門書店がほとんどです。

学生時代、御茶ノ水に校舎が有ったので授業の無い時間には
神保町の古本屋を全部廻って建築を扱っている店を探したものでした。
靖国通りから一本入った通りには昔からやっている喫茶店が何店かあり
いつも混んでいます。ミロンガ、ラドリオなどなど。。。
お昼は駿河台にあるICHIGOYAで頂きました。(マスターヒロちゃんは小・中学校の同級生です。)
今日は、久しぶりに神田を散策できて良い日でした。
↓御茶ノ水駅から見た聖橋です。山田守作 1927年(昭和2年)竣工

December 30, 2005
December 18, 2005
December 13, 2005
October 01, 2005
銀山平2日目
その日は予約しておいた銀山平にある「荒沢ヒュッテ」に着いた。
12畳の部屋が5から6室しかない小さな宿だが、まだ出来て5年くらいだろうか。丸太や無垢の古い建具などを使っていて、しっかりした造りになっている。
何年か前に近くで温泉が出ると、船着場に有った民宿が全部引っ越して来たそうだ。
冬は積雪4m~6mくらいなので、下の魚沼市(旧湯之谷村)に降りて人はいない。
部屋に荷物を置いた後、早速共同浴場に行ってみる。泉質は無臭無色だったが、効能はわからない。温泉は掛け流しだそうだ。
共同浴場はまだ新しくて木の骨組みが露出されている。二階建てで一階が受付、二階にお風呂がある。
ルーフバルコニーに露天風呂があり、天気が良ければ星が良く見えるのだろうが、残念ながらその日は曇りで何も見えなかった。
夕食は鮎の塩焼きや山菜が出た。
鮎の塩焼きは20年振りくらいに食べたかもしれない。うんまいでした。
他のお客が釣ったと言うワカサギも揚げて塩だけで頂いたが美味しい。
全部たべたら、かなりお腹一杯になる。
夕食後、食堂で女将と客との話を聞いていると、自分達以外は釣り客の様だ。
次の旧は、銀山平を降りて魚沼市(旧湯之谷村)にある道の駅に寄る。
ここは映画「バイブレーター」に出てた所です。
ここで野菜とお酒を買い宅急便で東京の自宅に送る。
東京に比べたら安いので、つい色々買ってしまいました。
September 25, 2005
銀山平
連休中に遅い墓参りの後、銀山平と言う所に行って来た。
新潟県魚沼市(旧小出町)から車で50分程でたどり着く。
旧湯之谷村から山を登る道はシルバーラインと呼ばれていて、幾つものトンネルを潜って行く。
まっすぐ行くとダムに出る長いトンネルを、途中で外に出ると銀山平と言う場所に出る。
そこは人造湖の廻りを山に囲まれていて、湖沿いに平らになっている。
駐車場には車が20~30台くらいは駐車していた。来ている人達は釣客か登山客がほとんどだと思う。
銀山平と言う地名は、江戸時代に銀が発見された事に由来します。
その後、昭和30年代に水力発電のダムが完成し、かつての村が湖の底に沈み出来たのが只見湖です。
この銀山平から車または遊覧船に乗って尾瀬に行くことが出来ます。
道路は20年ほど前は未舗装だったが、今では狭いながら舗装されている。
遊覧船に乗った事はないが、意外と良いかもしれない。Webの鳥瞰写真だけ見ているとノルウェーのフィヨルド観光みたいだし。
近くには比較的新しい幾つかの宿やログハウスと共同温泉浴場がありました。
まだ紅葉が始まっていなかったが、もう少ししたら綺麗なんだろうきっと。
































































